気功剣士

気功を学び始めた剣士の日記です。

オーラ視

突然ですが、オーラ視の話です。とある気功系のYoutubeを見ていたら、オーラを見る方法といった内容の動画がありました。オーラ視については、現在通っている気功教室でも初めの頃に教わりました。その時は部屋を薄暗くしてオーラの光を見るというものでしたが、見えたような、気のせいだったような、という感じでした。で、今回は興味本位でしたが動画の解説を見ながら即実行です。

自分の片手の指を広げて目の前に突き出し、壁を背景とします。解説では背景は白が見やすいとありますが、ちょうど家の壁も白です。夜でしたが部屋は普通に生活する明るさです。解説に沿って実施していきます。先ず、指のあたりをぼんやりと眺めます。はっきりと焦点を定めるというよりは、ぼんやりです。しばらく見続けていると、指の周囲に黄緑色の光が見えてくると言います。また、コツとして目をすぼめて薄目で見ると見えやすいと言います。やってみると、1~2分くらい見続けた後でしょうか。薄目で指の縁を見てみると、縁に沿って結構はっきりした黄緑色の光が見えます。更に見続けていると手全体の縁に沿って光が現れ、さらに手の周囲数センチのところまでボーっとした光が見えます。とても綺麗な光です。

これには驚きました。えー!こんなに簡単に見えるものなのか!?と。綺麗な光に感動し、また別の世界を覗き込んでしまった気分です。その後、別の日にも何度か試しているうちに、薄目にしなくても綺麗な黄緑色の光がはっきりと見えるようになってきました。指の縁を見ていると、初めは縁の部分の空間が蜃気楼のようにわずかに歪んで見えるようになり、その後、光を発します。瞬きや視点を動かすと一旦見えなくなりますが、またすぐに見えるようになります。これは面白い。まだ他の人では試していませんが、人によっては他の色の光も見えるのだろうか、と。で、光が見えている状態でまぶたを閉じると、黄緑色の光が手の形となってまぶたの裏に残ります。

ここでちょっと疑念が湧きました。目を閉じた時にまぶたの裏で見える黄緑色の残像です。白と黒の図形を1~2分凝視して目を閉じると、残像が見えます。図形のコントラストが大きいほど見えやすいのだと思います。今回も背景は白い壁だと見えやすいです。ん?これはオーラではなく単なる残像か? 目を開いたまま網膜の残像が見えて、実像の縁に光として見えているだけかと。で、試しに手元にあった竹の棒とか、ブラスチックのうちわの柄などで見てみると、やはり縁に何等かの光が見えるようです。もうちょっとちゃんと実験してみようかと思い、以下のものを準備しました。

ネットから手のひらの画像をゲットし、1.普通の肌色 2.レタッチソフトで紫色の手に加工 3.同じく黒い手に加工 4.赤青黄緑桃黒など違う色の四角を並べた画像 の4種類の画像を準備し、2L判の写真用紙にカラープリントします。いずれも背景は白です。実験結果は以下の通りでした。1.普通の肌色の画像では、手の縁に黄緑色の光が見えました。実物の手と同じような見え方です。2.紫色の手の画像では、黄緑色ではなく白い光として見えました。背景の白よりも更に白い光として見えます。3.黒い手の画像でも同様に白い光です。4.色々な色の四角の画像でも、色の違いに関わらず白い光が見えました。

以上のことから、今のところ私が見ていたのはオーラではなく網膜の残像ではないかと思います。なぜ全て黄緑色に見えず、白い光が見えるのかは分かりません。無機質の物にも気は宿っているらしく、オーラが見えることもあるのだと思いますが、残念ながら今回の実験からは残像と考えるのが合理的かと思えます。ちなみに、背景を黒にして手をかざしてみた場合でも、背景が白の場合と同様に縁が蜃気楼のような感じに見えはじめ、そのうちに色は分かりませんが背景の黒よりももっと黒い光(?)のようなものが縁に見えはじめます。その状態で目を閉じると、手の平の形が黒く、その周りが黄緑色の残像として確認できます。

はやり、以前気功教室で教わった通り、薄暗くした部屋でオーラが見えるようにならないと、本当に見えたとは言えないのだと思います。

高藤流の訓練始める

先日ご紹介した「秘法!超能力仙道入門」の訓練法に基づいて数日前から瞑想を始めてみました。目標はもちろん小周天法の体得です。1日1時間座って瞑想します。呼吸法は武息。毎日続けることでお腹に少しづつ陽気が溜まっていき、ある程度溜まると特別な熱や振動として知覚できるようになると読み取りました。早い人で1~2週間。遅い人でも3~6カ月で出来ると書かれています。その間は精を漏らしてはいけないとあります。私などは精力が弱いので6カ月は覚悟しないといけません。ちなみに、他の著書には高藤氏が小周天ができるようになるまで2か月掛かったと記されていました。

さて、実際にやってみると色々大変です。先ず、1時間も座りっぱなしという経験がありません。あぐらで座って片方の足を別の脚の太ももに乗せる半座にしています。結構楽に座れて安定するのですが、30分も座っていると痺れて感覚がなくなってきます。その後、50分ごろから脚の付け根とお尻がどうしようもなく痛くなってきて、瞑想どころではありません。それでも何とか我慢して60分を迎えます。そのうち慣れるのでしょうか。リラックスできる座り方が一番のようなので、単にあぐらにするとか、椅子に座るとか、色々試してみる必要がありそうです。

また、とても難しいのが武息と呼ばれる呼吸法です。これが全然できません。基本は吸いながら下腹を膨らませ、吐きながら腹を凹ませる腹式呼吸なのですが、吸うときにスッ、スッ、スッ、っと断続的に吸い、それに合わせて下腹を段階的に膨らませろとあります。更に吸い切るまでにお尻の穴に力を入れて徐々に締め上げていきますが、これができません。お尻の穴に力を入れると下腹にも力が入ってしまい、下腹ではなく上腹や胸が膨らんでしまいます。逆に下腹を膨らませようとすると、お尻の穴が緩みます。その上、断続的に膨らませろというのですから高等技術です。そうこうしているうちに、体中に余計な力が入ってしまいます。で、吸い切った後にお尻の力を緩めずに一定時間息を止めます。その後はお尻の力を緩めて、フッ、フッ、フッ、と断続的に吐き、それに合わせてお腹も段階的に凹ませます。

武息ができない初めのうちは、武息の補助的に扱う半文息で良いと書かれています。文息というのは意識を使わずお尻にも力を入れない腹式呼吸で、瞑想が深くなるとできる呼吸法とのこと。で、半文息はこれを意識的に行い、お尻の締め上げを併用するもの。私はどうにも武息ができないためこの半文息を使い、吸い切た後に息を止めることも併用して瞑想をしています。半文息の場合、お尻を締め上げながら下腹を膨らませるというのも、ある程度できるようになってきました。吸う過程の前半で下腹を膨らませはじめる形を作り、後半から徐々にお尻を締め上げます。下腹を膨らませる時は意識も下に持っていき、吸った空気が下に落ちるイメージを持ちながらお尻を締め上げていきます。

半文息なので断続的な動きはしませんが、それ以外は武息の方法と同じだと思います。頭の中で10数えながら息を吸い、10数えながら息を止め、10数えながら息を吐きます。各々の数は日によって 10-15-15とか、5-20-15とか、色々と試しながら行っています。吸う時間が長いと結構苦しく、短い時間で吸うと気持ちが良いです。息を止めている時間は今のところ20秒が限界ですが、長いほど熱が出ます。吐く時間は長いほうが良く15秒くらいないと吐き切れません。日によって違いますが、この呼吸を続けていると、息を止めてから15秒くらいで腹全体の表面が熱くなってきて、息を吐いている間は背中全体が結構熱くなります。息を吐いている時にも腹が熱くなると良いのですが、腹に向ける意識が弱いのか? いずれにしても20~30分くらいから体が熱くなり始め、頭などから結構汗が滴り落ちます。

初めは自分の感覚で数えていましたが、その後スマホメトロノームアプリを使って、1秒刻みのカツ、カツ、カツ、という音を数えるようにしてみました。何となく集中しやすい感じです。また、今までは瞑想している時に丹田に意識を向けるということがイマイチ出来ませんでしたが、お尻を締め上げる動作を行うと、体の内側からその場所が何となく意識できるため、「ここのちょっと上が丹田かな」などと意識を向けやすくなってきたように思います。もっと瞑想を続けると、もう少しちゃんと丹田が意識できるようになるのかもしれません。

これからは断続的な武息にもチャレンジします。 まだ素人の真似事ですが、それでも続けているうちに上手くできるようになるのでは?と思っています。

秘法!超能力仙道入門

凄い本に巡り合いました。「秘法!超能力仙道入門」高藤聡一郎氏著@学研です。あとがきの署名には1983年9月15日とあります。高藤聡一郎氏は存じ上げなかったのですが、Youtubeのとある気功系動画で紹介されていたのをきっかけに、Amazonで調べたら多くの著書があり、そこから選んだ一冊です。

題名からすると小学生向けの超能力紹介本のようで、だいぶ興味本位の安っぽい印象を受けましたが、内容は全くそうではありません。伝説的な仙人の逸話、仙道の歴史や幾つもの宗派の解説。そして実際に気を感じ、気をコントロールするための訓練法から、小周天法を行うための具体的な方法、更には大周天法やその先の修行で行き着くところなど、著者の実体験に基づく方法論などが、とても懇切丁寧に説明されています。私などはもともと小周天法に興味をそそられて気功を始めたこともあって、凄く参考になる教科書のようです。そしてその内容はめちゃめちゃ面白い。

十年以上前に手にした気功の本でも、小周天法の方法などが記載されてはいましたが、実際に訓練をしてみようと思うと、どこか具体性に欠けて手が付けられず、結局迷走してしまう感がありました。ところが本書では、かねて疑問に思っていたようなところや、訓練で得られる感覚の段階的な変化など、より具体的な解説がなされていて、なるほどと頷くことしきりです。例えば、小周天に至る日々の瞑想の場合、そのトレーニング時間について「最低一時間はほしい。30分ではまず熱を感じられるところまではいかない」「一日一時間以下しか座らない人で、小周天が完成した人はほとんどいなかった」など。こういう小ネタ的な情報が、訓練をしていくための大切なヒントになったりするのです。このほかにも、精力が強い人ほど早く熱を発せられるとか、具体的な精力の付け方などの説明もあったりします。この方法のとおりに毎日瞑想の訓練をすると、本当に自力で小周天が出来てしまうのではないかと思えるほどです。

また、面白いのが小周天法をマスターした先の修行。大周天法や更にその先の「陽神」の話です。大周天法では著者が到達した時の衝撃的な体験記が面白く、またその後、気を練って作る小薬・大薬から、陽神と呼ばれる人の形をした分身を体内で育て、ちょっとずつ頭から外に出して訓練し、3年後には強くして一瞬にして遠くまで行かせ、またどんなに小さな物体の中にも入りこませるなどのお話。このあたりになると超人過ぎて面白い夢のあるお話になってしまうのですが、著者本人も陽神を育てて、近所を散歩させたなどの経験を紹介しています。修行段階の最後では肉体を持ったまま虚空に消えて道(タオ)と一体になるとあり、ネットでは現在姿を消している著者自身、虚空に消えたのではないかといった書き込みもあります。

大周天法や陽神を育てるというところまで行くと、私にとっては生きているうちに剣道の八段に合格するくらい難しい境地です。が、かねてからの目標だった小周天法は、是非マスターしてみたいと強く望んでいます。一度だまされたと思って本書のとおりにやってみようかと思っているところです。

コロナ明け

2月下旬に最後のブログを書いてから、すでに丸7カ月以上が経ってしまいました。2月に新型コロナウィルスが猛威を振るい始めて、剣道の稽古は全て中止。気功教室自体は開いていましたが、会社では期末に向けた納入確保のためコロナ感染防止への管理が厳しくなり、自主的にお休みしていました。2020年10月現在、第二波が未だ終息していませんが、剣道の稽古も8月から徐々に再開され、気功教室にもボチボチ参加するようになりました。2月から8月までの休止期間、正直なところダラダラと過ごしてしまい、剣道も気功も殆ど停滞状態。今思えばもったいない半年を過ごしました。

さて、再開した気功教室ですが、主に気功ヒーリングを教わっています。ヒーリングでは患者さんの状態を気の滞りや流れを感じながら処置をしていくのが前提です。なので、先ずは患者さんの気を感じなければ始まりません。しかし、それがなかなか感じ取れません。ヒーリングには興味があり、実際に気を感じ取りながら処置ができるようになりたい。しかし、教室ではメソッドの説明がどんどん進んでいってしまい、自分の身になるまでには至らずに過ぎています。

なんとか気を感じ取る力を強くしたいと思い、色々と模索し始めています。その一つが太極拳の基本動作によるトレーニングと立禅(タントウコウ)です。

太極拳の基本動作では、私の場合、特に「陰陽の腕」と言われる動作を繰り返し行うと、掌がピリピリジンジンして気を感じやすくなるように思います。「陰陽の腕」は2種類あり、腕を胸の前に伸ばして行うタイプと、腕を腰の横に下げて行うタイプとがありますが、両方を10~20回ずつ行います。この時、収腹提肛運動というのも同時に行います。息を吸う時にお尻の穴に力を入れて下腹部の筋肉も引き締め、吐く時に力を緩めます。このお尻の穴に力を入れるというのは普段あまりすることがないため、ちゃんと力が入っているのかどうかが分からず、何か悶々とした感じが残って気持ち悪いものです。

タントウコウは、足を肩幅ほどに開いて少し腰を落とし、両手を胸の前に出して大きなボールを抱えるような形にします。背筋を伸ばしておへその反対側の背中(命門)を少し膨らませる感じで立ちます。その姿のまま、ずっと立っています。初心者は5分くらいから。そのうち15分~30分~1時間と伸ばしていきます。私の場合は9月20日ごろから始めて、最初の数日間は15分がやっとでしたが、その後30分は立っていられるようになりました。先ずはじめにキツイのが脚。15分~20分も経つと太ももがプルプルしてきて、足の裏も痛くなってきます。もっとキツイのが肩で、痛くてあげていられなくなります。15分も立っていると腕や頭から沢山の汗が出てきます。また、お尻のどこかからか太ももの内側を伝って汗が流れたりもします。意識は丹田に向け、呼吸は自然呼吸で良いみたいですが、武息と呼ばれる呼吸法(うまくできませんが)を併用したり、色々工夫します。タントウコウはインナーマッスルを鍛え、健康増進や武術系の修行にも効果があるようです。脚をプルプルさせながら30分も立っていると、大きなボールを抱えるようにした両腕の中に、モヤっとした気を感じるようになります。ちょっと両腕をすぼめてみると軽い抵抗感を感じるのです。また、私の場合は両手首に何かバンドのようなものが巻かれたような感じを強く受けます。そのバンドに吊るされながら、辛うじて腕を下げなくて済んでいるような感覚です。

タントウコウを終えて両掌をそっと近づけると、結構強い気の反発を感じることができます。そんなことを2週間以上続けていますが、半年間サボった分をある程度挽回できるくらい、気感が戻ってきたような気がします。

 

気感を強く

両手にハンドボールを持つような格好で気を感じようとする場合、大抵はほんの僅かな感覚しか得られません。というか、普段の生活をしている最中に突然感じようと思ってやってみても、ほとんど何も感じません。気を感じるためには、やはりそれなりの準備が必要なようです。以前はその準備のために30分程度瞑想して心を無にし(無理ですが)、ある程度心が落ち着いてから両手を合わせるということだけを試していました。しかし、これは手のひらの気感を得るということを目的とする場合、あまり効果がありませんでした。もちろん何もしないよりは多少感じるようになっているのですが、ほんの僅かという状況に変わりありません。

1年ほど前でしょうか。どこかのWEBでスワイショウをすると手から強く気が出るというようなものを読みました。スワイショウというのは立って両腕の力を抜きながら、ぶらぶら振り続ける動功です。振り方にもいくつかあり、上体を左右に大きく回しながら、腕をデンデン太鼓のように自然に振り回す方法と、腰から上体を前後に揺さぶって、その反動で腕が自然に前後に振られる方法などです。いずれも力が抜けた状態の腕が揺さぶられて、遠心力で血液が指先に降りていくような運動となります。私の場合は後者の前後に振る方法を主に試しました。WEBなどでこれは凄い健康法だと書かれており、これを毎日3,000回ほど行うと病気知らずだというような内容だったかと思います。1分間で50回程度腕を振ることができるため、1時間ほど振り続ければ3,000回になります。これはさすがに大変なので、テレビを見ながら20分程度を続けてみます。すると、指先に血液が行き渡り、手が若干むくんだような感じで相当ジンジンします。その状態で両手を近づけてみると、結構強く気の感覚を得ることができます。精神集中もせず、以外とお手軽に気を感じる方法としては良いかもしれません。ただし20分間も腕を振り続けなければなりませんが。

で、最近はより強く気の感覚を得る方法を行っています。気功教室で毎回行う気を養う体操の一部です。それを自宅でも行っています。ここで具体的な方法をご紹介することができないのが残念ですが、体操の時間はほんの数分。腕を大きく広げて気を浴びるような動作と、下半身を踏みしめながら強く気を吐くような動作です。一応テレビなどは観ず、気を吸い上げたり、浴びたり、圧縮したり、といったイメージを思い浮かべながら集中して行います。昨夜もこれを行った後に両手を近づけてみると、今までで最も強いモチモチ感を得ることができました。ちょっと驚いたくらいです。昨夜の場合は両手を近づけたときの弾力が非常に強い一方、両手を離そうとしたときの粘り気はあまり強く感じませんでした。どういう意味があるのかはハテナ?です。

これを続けているうちに、普段から気を強く感じることができるようになるのでしょうか。それは信じて続けてみないと分かりません。

ところで、ここでは手のひらの気感を強くしたいという観点だけで、瞑想やスワイショウの場合について私の経験をご紹介しましたが、これらは本来そのために行うものではなく、否定をしている訳ではありませんので、くれぐれも誤解無きようお願いします。

 

初めての気感

「気感」というのは「気の感覚」ということでしょうか。「気を感じる」ということですが、気配がするとか、空気を読むとかいうことではなく、エネルギーとしての「気」を物理的な感触として感じるということです。一応私も感じることができます。「気」のことを普段意識されていない方に「気を感じる」と言ってもあまりまともに相手をしてもらえません。「こいつは何を言っているのか」「変なやつだ」「壺でも買わされるのではないか」。口に出しては言われませんが、そんなことを言いたげな雰囲気が漂います。「気」というと、まだまだ「何やら怪しい」とか「超能力」というイメージが付いて回るのではないでしょうか。

私が「気」について興味を持ち始めたのは、もう10年以上も前のことです。当時、最寄り駅の近くにあった古く小さな本屋さんで時間潰しをしている時に、たまたま見かけたのが「気功法の本」という学研のムック本です。今でもたまに読んでいます。220ページくらいあり、気とは何か、気功の基礎、静功、動功、周天法、養生術など、気功の基礎から実践法までが細かく分かりやすく網羅されており、知識欲を満たすには十分な内容になっています。ハウツー本ですが読み物としても面白く、何やら知らない世界を垣間見たような感じでした。「小周天法」「大周天法」については特に興味深く、もはや仙人の世界です。小周天法」の実践に至る手順を読んでいると、まさに「魔法の書」です。今のこの世の中にこんなことができる人間が実在するのか?とさえ思いましたが、ネットで調べてみると「小周天法」については意外とおられるみたいです。気功を学ぶのであれば、是非とも修得したい術だと思っています。

で、「気功法の本」には「気を感じる」ための「練功の基礎」という項目があります。瞑想の仕方や呼吸法を通して雑念を払い、気を「掌で感じる」方法が紹介されています。当時、「気を感じる」などとは思いもしなかったため、興味本位で本の紹介通りにやってみます。あぐらをかいて座り、姿勢を正して力を抜き、空気を鼻から吸って、口から長く吐き、何も考えずに自分の呼吸の数を数えることを、20~30分間静かに続けます。しかし、何も考えないというのは非常に難しく、いつの間にか何かの考えが頭を巡ります。いかんいかん、と思い直しますが、また何かを考え始めます。そうこうしているうちに船を漕ぎ始めたり、集中力が続かなくなったり、といった感じです。何日か実践してみますが、掌で気を感じることはできません。

もう一度良く本を読み直してみると、手のひらをしばらく強くこすり合わせると、気を感じやすくなると書かれています。で、瞑想の後に手を強くこすり合わせ、少し手のひらがジンジンするくらいにして両手のひらを近づけていくと、ちょうどハンドボールを持つくらいの距離で、「気の感触」を感じることができたのでした。

目を閉じて手の感覚に集中します。すると両手のひらを近づけようとすると弾力を感じ、離そうとすると粘り気を感じます。手を動かす幅はせいぜい2~3mm程度ですが、手のひらのジンジン言う感覚が変化するのと同時に、明らかに物理的な抵抗感があるのです。「これか!」という感動とともに鳥肌が立ったのを覚えています。何やら開けてはいけない扉を開いたような気持ちになり、手の中のボールの感触をしばらくの間、楽しみました。

しかし、毎日同じように感じるわけではありません。大抵はその感覚は非常に弱く、ほとんど感じない日が続きます。そんな日でも、両手のひらを指が反るくらいに思いっきり開いてゆっくり近づけて行くと、労宮のツボのあたりで比較的強いモチモチした反発力を感じることができます。目を開けてみると2~3cmくらいの距離です。

その後も暫くは瞑想と気感を続けていましたが、一向に気感が強くなるわけでもなく、いつの間にかやらなくなってしまいました。で、2~3年おきに思い出したように始めてはやめ、というのを繰り返して今に至ります。今回はついに気功教室に通うほど本格的再開したというところですが、またいつ飽きてやめてしまうか...。それは誰にも分かりません。

 

教わったこと 2/15

2020年2月15日(土) 気功教室に行って来ました。今回もいつもの生徒さん2名の他に、先週とは別の女性の生徒さん2名が一緒でした。今回も午前中の前半は脱力と気を養う体操を行い、後半は色々と自由な実習です。

実習では、各々自分の鎖骨を両手で回すように揉みほぐします。方向は下から上に内側を通る向きに回します。すると、前屈で指先が床に付くくらいがやっとだったところ、何と手のひらがベッタリと床に付くまでに体が柔らかくなっていました。他の生徒さん達も同様に柔らかくなっていましたが、私が一番効果があったようです。その後はお互いに揉みほぐし合いながら、開脚が前より開くようになったとか、色々と試しました。不思議です。

また、気で相手を飛ばすという練習も少し行いました。手を触れずというのは高度過ぎるため、体重を掛けてくる相手の肩を軽く押して、前方に跳ねのけるという程度です。腕を使って力だけで押す場合と、丹田を意識して足腰で押す場合とでは、やはり飛ばされる方も違いを感じます。足腰で押す場合は腰を平行移動させながら、ずっと向こうまでスーっと気を通すようなイメージで相手の肩を押し切ると、軽くスムーズに飛んで行ってくれます。まだまだですが、そのうち手を触れずに相手が飛んで行ってくれると楽しいですね。

午後は先生のマンツーマンレッスンでした。気を使った色々な癒しの手法などを教わりましたが、相手(患者)に手を添えて気の流れなどを感じ取らなければなりません。ところが、そう簡単に気は感じられず、本当に微妙な感覚で「ん~、感じるかな~、違うかな~」といった感じです。しかし、先生の体に両手を当てて、体の中の気の流れをイメージしていると、何となく「こんな感じかなー?」というイメージが湧いてきます。別に根拠があるわけではありません。その流れをイメージで後押ししてあげるというレッスンでは、先生から「おー、上手上手」とお褒めの言葉を頂きましたが、やってる本人はイマイチ確信がなく「ん~~」という感じのままです。

気は訓練によってはっきりと感じられるようになるらしいのですが、ほんの僅かな、微妙な感覚であることには変わりないとのこと。あまり考え過ぎていると分からなくなってくるため、感じた最初の印象を大切にして、それに確信が持てるように訓練する必要があるとも。

午後のレッスンの時に、部屋の中の「気の通り道」を感じてみるという実習もしました。両手のひらを自分の肩の横で上向きに開き、そのまま体を左右に傾けてみると、左右の手のひらに感じる感覚が変化します。僅かなピリピリ感の変化です。そのままゆっくりと「気の通り道」を通過してみると、確かにピリピリ感が強くなったり弱くなったりする気がします。

教室から歩いて30秒ほどのところに、5体のお地蔵様と1体の観音様の碑があります。気を感じてみるために、先生と一緒にそこまで歩いて行きました。腕を下ろして太ももの横あたりで両手を開き、前方に向けながらゆっくり歩いてお地蔵様に近づいていくと、5m程度のところからピリピリ感が出てきます。更に近づいていくとピリピリ感は強くなり、お地蔵様や観音様の目の前までくると、手のひらが明らかに強くピリピリ言います。手が痺れたり、ちょっと血の巡りが悪くなったりするとピリピリしますが、その感覚に近いです。「えー、この感じがそうなの?こんなに強く感じるの?」と驚きました。先生曰く、お地蔵様それぞれによって気の感じ方が違うそうです。

さて、レッスンが終わって帰宅する途中に一人でお地蔵様の前まで行ってみますが、先ほどのような強いピリピリ感は感じられません。何となくピリピリするかなーという僅かな感じしかないのです。以前、手のひらの労宮のツボが輪となって見えた件といい、今回のことと言い、多分先生の強い「気」に影響を受けて、一時的に気を感じ易くなっていたのかなと思います。今後の修行で「気」をはっきり感じ取れるようになれると信じて頑張りましょう。